ある領域のプロの方と対話してきました。
長年その領域をやり続けて、今ではその機能組織のリーダーです。
流石にその領域を長年やり続けてきているので言葉の端々に自信がみなぎり言葉が強い。
それは信頼を生むには十分な迫力で、組織内でも評価をされてきているらしい。
しかし一方で、その技術をどの様に活用するか、という上位よりも、その言葉はその領域の内側に向いている。長年の経験で議論に勝てるからである。
長年、その領域に放り込まれたままだとプロフェッショナル化するのであり、それは素晴らしいこと。
しかしだからこそ、その技術を活用する観点で考えることを経験させることによってジェネラリストとしての観点を養成する必要があるのでは無いだろうか。
プロフェッショナルであると同時にジェネラリストのabiltyが必要であり、それをチームとして持てる様な多様性がなければ歪な技術になってしまう。
そういった観点でのマネジメントが無い中で、自分自身の感性を磨かねばならない。
なんとも難しい振る舞いだが、誰かに、ましてや人事や上司に期待していては到底その様な育成は為されないでしょう。
体得した技術があるのであればこそ、その上位の技術へと向かう必要があり、その領域に止まっていては現時点の技術に固執してしまうダークサイドになりかねない。
言葉が刃になってしまうほどに剣術を磨くのであれば、人を切るその技術は、何のために、いつ必要なのか、それを見極める技術を体得しなけらばならない。その様に技術を人の道に活かすことが日本の「xx道」なのである。
IT技術者は、構築導入する技術を体得してその領域において刃の様な言葉を使うならば、それを運用して経営のために活用する技術を積むべきではないだろうか。私はそう思う。